二年前の6月に我が家のばぁさんが病気で入院していたとき、ぼくは我が家の洗濯機を全自動の製品に買い換えた。この際にはなんの迷いもなく、写真の壊れかけた二槽式洗濯機を捨てた。
ものを捨てる時には、
《1》そのものの実用上の必要を感じなくなったという三要素が揃ってようやく捨てる決心ができるようだ。
《2》物理的な置き場所がない
《3》保存する必要を感じない
例えばケータイを買い換えた場合、一般的には古いほうの機種はもう実用上の必要を感じない。だからあっさり捨てればよさそうなものだけれど、なにしろ小さなものだから置き場所には困らない。この手のものは悲しいかなぼくはなかなか捨てられない。
とくに、つい先日買い換えたケータイの場合には古いほうは電話機としては使えないけれどFM放送を聴くことができるからポータブルラジオとしてならまだまだ実用性がある。こういうものはなかなか捨てられないし、だいいちぼくの場合過去のケータイは「コレクション」する事にしている。
この「コレクション」というものはなかなかのくせ者だ。ぼくに限らず収集癖のある人ならだれでも思い当たるだろう。他人の眼ではじつにくだらないようなものでも、それに対して「愛着」を感じてしまうと、捨てるためには大変な勇気が要る。
書籍などはその代表だと思う。一度読み終えた本でも、いったん本棚に並べてしまうとその場所を占拠して存在を主張するようになる。そのうち部屋中が古本で埋まる。
でも、なかなかそれを捨てられないものだ。
「コレクション」とは捨てる技術とは相反する行為だ。だから、なんに限らず、ものを蒐集するという習癖には注意を払う必要がありそうだ。
あんまりLISMOちゃんはでかいから、ケータイのストラップをKalitaに替えた。
薄さだけを目的で買い換えた今度のケータイにはなぜかFMチューナがついていない。その代わりになんとテレビが映るのにはビックリ!例の「ワンセグ」の機能がついていた。ケータイでテレビを見るなんて時間と電池の無駄だとぼくは思うが、時代の要請ならつけていても仕方がない。
KYOCERAのケータイにはそんな余分な機能はつけていないと信じていたのに。
そのうえ「じぶん銀行」や「おサイフケータイ」なんていう不思議な機能もついている。おそらく一度も使うことはないだろう。またGPSまでついているらしい。
カメラの撮像素子は3Mピクセルある。とはいうもののこんな米粒のような小さな素子では640×480pxを超える画質の大きな画像を撮影しても実用にはならないだろうから全く期待していない。またレンズの外側は相変わらずプラスティック製だから、いずれこすれて曇ってくることは請け合う。
カメラにも期待しないでおこう。
久しぶりにケータイ屋さんを覗いてみたら、京セラから薄型のケータイが出ていた。ぼくのケータイはカメラのレンズが完全に曇っていて、写真が撮れない状態だった。ぼくはいつもデジタルカメラを持ち歩いているから写真は撮れなくてもあまり不都合を感じないけれど、バーコードが読めないとなにかと不自由で困っていた。
だから、この際買い換えてしまおうと、つい衝動買いをしてしまった。
ぼくの今までのケータイ、W44Kでも結構な薄さだったのだが、15mm以上はあった。今度のK002は11mmを切っている。この薄さなら胸ポケットでケータイとチェリーが同居しても不自然を感じないだろう。
そんな薄いケータイを買ってオマケにもらったストラップをつけてみたら、こいつがやけにバカでかいLISMOちゃんのボールペンで、つけてみたら胸ポケットの外側で踊っている。
これは具合がよくないから、まずはカリタのケータイクリーナーに戻さねば。
もうここ半年くらい毎日のように即席らーめんを食べている。
毎日同じ味では飽きるから、いろいろなメーカーのいろいろな銘柄を買ってみた。PBブランドにも挑んでみた。即席らーめんを大別すると「味付油揚麺」「油揚麺」「ノンフライ麺」があり、味付けのスープには「醤油」「みそ」「塩」「とんこつ」が多い。
ぼくの意見では「ノンフライ麺」の「醤油味」がごくあたりまえの味で飽きが来ないような気がするけれど、とはいえそればかりではやはり飽きる。
今日はPBブランドの「塩らーめん」に天かすを乗せてみた。勝手に命名して「たぬき塩らーめん」。
これは、案外おいしい。
ただ世の「塩らーめん」にはわずかだがカレーの風味がつけられている製品が多い。これは、どうもいただけない。
明日は「たぬき味噌らーめん」に挑戦しよう。
今年になってぼくが我が家の「家計簿」を担当するようになって以来、買い物には必ず「受取」(レシートでも可)をもらう習慣が身についた。
もちろん普段の買い物はスーパーマーケットやショッピングストアだ。この種の小売店舗ではレジを通るから無条件でレシートが発行される。セルフサービスのガソリン屋さんで給油しても、病院や薬局でも領収書は必ず発行される。
問題は街の小売店舗でお買い物をする場合だ。街の多くの魚屋さんや肉屋さん、八百屋さんなどはいわゆる「どんぶり勘定」だから、レジスターのないお店も多い。
その場合、
「すいませんが受取をいただけますか」
と、客が要求しなければならない。
ところが最近の若い世代の店員さんには、なんと「受取(うけとり)」という日本語が通じない場合が多い。
「あの、領収書かレシートがいただきたいんですが」
と、言い直さなくてはこちらの意図が相手に伝わらない。
ぼくの場合には領収書を決算報告書類に帳票として添付する訳でもないし、出費を後日集計分析する訳でもない。もちろん誰かにその金額を請求するわけでもない。単にその日の買い物を家計簿に記載できればよいだけだ。だから、やむを得ない場合には自分で買ったものと買い物の金額をメモしておいて、家に戻って「出金伝票」を切れば事は足りる。
とはいえ、ぼくは根が無精だから買い物をして、その場でメモすることが面倒だし、ぼくの頭脳はいたってお粗末だから一度に複数の買い物をすると、もう個々の買い物の金額を憶えていられない。いったん忘れたらもう二度と払った金額を思い出せない。
だからその場で「受取」をもらいたい。ところが、たかだか数百円の買い物で、
「領収書をお願いします」
と言うのはいかにも大袈裟で気が引ける。
だからこそ「受取」という気安い日常的な言葉があるのだと思う。その「受取」という日本語がぼくより若い世代では、悲しいかな今や「死後化」しつつあるらしい。
街の商店で「受取」という日本語が通じないような買い物はいささか淋しい。
ちなみにぼくはたばこ屋さんでは「受取」をもらわない。たばこは家計に計上できないから。

