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コピーライトひこぼし

2003年4月アーカイブ

【2号】消費税

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 名古屋の珈琲屋さんはほとんどのお店が“後払い”になっている。
 どの客もまず、自分の好みの席に座りメニューに目を通して好みの飲み物を選び、それを味わうことで“くつろぎのひととき”を過ごすことができる。
 お店に新聞があればそれを読んでも構わないし、雑誌の類が備えられているお店も多い。持参した本を開いても咎められることはない。

 ただ、そのお店にはそのお店の雰囲気というものがあり、それを損なうような会話や言動は慎むべきだと思う。珈琲屋さんを応接間のごとくに利用する場合にも、長時間の商談や大声での放談は静かな時間を過ごすほかのお客様に迷惑になる。

 おいしい珈琲を楽しんでひとときの休息の時を終えて、お店を出るときにはその対価を支払う。珈琲屋さんは慈善事業ではないのだからそのお店が考える相応の金額を「珈琲代」として要求することは当然で、客も最初にメニューで自分の支払うべき金額を知っているから財布からその金額を準備してお店を出る支度をする。そして会計を済ませてお店をあとにする。

 問題はそのときに客の予定していない金額を要求する店があることだ。
 日本には「消費税」という名前の悪法がある。世界中のどの国にも税金がありさまざまなものに課税する。外国にもこの制度はあり一般に「付加価値税」と呼ぶようだ。日本では赤ちゃんが産まれてはじめて使うおむつから、人生を終えて死んだときの香典返しにまで税金を取る仕組みができている。むかしのフランスかどこかでは窓にまで税金を取ったと聞くから、世界中どこに生活しても完全な自給自足の隠遁生活をしないかぎり“税金”を免れることはできない仕組みになっている。「付加価値」に課税したくなる気持ちは分かるような気もする。
 しかし、最終消費者のひとりとしては、なにを買っても表示された金額以外の余計な金額を税金として支払うことは明らかに不愉快だ。

 せっかくおいしい珈琲を楽しんで、“くつろぎのひととき”を過ごして、そのお店をあとにするときにぼくは不愉快な気分を味わいたくはない。350円の珈琲を飲んだあとで小銭入れのなかから一円玉を探すときの不愉快な気分はせっかくのおいしい珈琲の味を台なしにしてしまう。

 珈琲屋さんも消費税を支払ってさまざまな材料を仕入れているのだから、客から消費税を取ることは当然だ。だから取るなとは言わない。「内税」にしてほしい。ぼくは367円の珈琲より400円の珈琲の方が美味しいような気がして仕方がない。

 去年の秋のこと、「自家焙煎」と看板を掲げた「珈琲専門店」に足を運んだ。ドアの右側に焙煎器が備えてあり、豆の販売もしている本格的な「珈琲屋」だ。
 わりに広い店内はテーブルのみで、店員と思われる若い女性が数人働いていた。店主と思われる人物の姿はない。

 メニューに目を通すとブレンドが3種類、ストレートが8種類書かれていた。はじめての店なのでまず、ストロングコーヒーを注文した。
 その時点で気がかりなことがひとつあった。というのは厨房のカウンターの上にサイフォンがいくつか並んでいて、そのなかに一杯分のブレンドと思われる珈琲が残っていたのをみつけていたのでブレンドを注文するとそれが出てくるような予感がしたからだ。
 案の定、その珈琲は先にブレンドを頼んだ客のために温め直して運ばれた。

 ぼくの注文したストロングは抽出を始める気配を感じない。そのうちカウンターの奥から別のサイフォンのフラスコが取り出された。そのなかにはまた一杯分の珈琲が入れられていた。それを温めたと思ったら、なんとぼくのところへフラスコごと運んできて、
「ストロングでございます」

 つまり、このお店にあるサイフォンはあらかじめ別に抽出しておいた珈琲を温めるための道具として機能している。もしかしたらストレートコーヒーの注文をもらったときだけはサイフォンとして使うのかもしれない。しかし、少なくともぼくがいる間にそれを注文する客はひとりもいなかった。

 このお店もかつて開業したときには「珈琲専門店」として営業していたのだと思う。そのうち他店との競争のなかでモーニングサービスを始め、ランチメニューを始め、そして肝心な珈琲のことを疎かにしてしまう。それでも立地条件に恵まれれば経営は成り立つ。

 気がついたときには、ぼくに言わせれば「詐欺的珈琲屋」になり果ててしまった。本当においしい珈琲を求めて店に入った客は二度とドアを開けることはあるまい。

 詐欺師に一度目に騙される人は「被害者」という。二度も騙される人は単なる「阿呆」だ。そうはなりたくないので、ぼくはこのお店には二度と足を運ばない。

 有名な「マーフィーの法則」の冒頭にこう書かれている。
「失敗する可能性のあるものは必ず失敗する」

 この法則が間違いとはいえないことを今夜発見した。頭の中には「創刊号」の内容は描かれているのに、今夜ここに記す気力はもうない。CRTさえぼやけて見えるようになってきてしまった。だから、創刊は一週間延期。

 もしも期待をされていた方がおられたら、とりあえずお詫び申し上げておきます。

「ゴメンナサイ」

【創刊準備号】

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 「喫茶店」とひとことで言ってもその定義となるとこれはなかなか難しい。珈琲や紅茶などの“飲み物”を主体にして“くつろぎの場”を提供する飲食店を一般に「喫茶店」と呼んでいる。食堂やレストランが“食べ物”を主体にしていることと相対していて、「喫茶店」は食堂やレストランなどより営業時間が長いことが当然とされる。ただし、「喫茶店」は“飲み物”だけをメニューにしているわけではない。トースト、サンドウィッチやパスタはもちろんのこと「焼き肉定食」をメニューに加えてもかまわないし、需要があれば「ラーメン」や「うどん」も作っても自由だ。そうはいっても基本的には「喫茶店」のメニューには珈琲は不可欠だと思う。

 実は名古屋には「喫茶店文化」と呼ばれるものがある。名古屋の喫茶店は朝早くから営業し、朝は「モーニングサービス」、お昼は「ランチ」、午後は「おやつ」をメニューに取り入れている。
 モーニングサービスは単に「モーニング」と呼び、珈琲などの飲み物だけの代金でトースト、たまご、サラダなどを食べられる。だからこれを朝食代わりにする人も多い。
 ランチは600円~800円でコーヒー付きの“日替わり定食”形式にしているお店が多い。珈琲が350円なのに、珈琲付きのランチが600円なら確かに割安感があるのは事実だろう。
 とくに麺類などを食べたいわけでないときには食堂やレストランを探すより「喫茶店」を探した方が簡単に昼飯を食べられるし、だいいち麺類食堂より喫茶店の数の方がはるかに多い。

 また、名古屋の人間は喫茶店を“応接間”としても利用する。不意の来客の際などには、
「珈琲屋でも行こみゃーか!」
 という。

 だから、名古屋の喫茶店の数は他の都市と比較してもすこぶる多いらしい。

 そして、当然ながら「喫茶店」同士の競争も激しい。だからこそ名古屋の「喫茶店」はそのお店の特色を訴えるためにさまざまな工夫をしている。

 名古屋ではじつにさまざまな形態の「喫茶店」が競い合っている。メニューを工夫したり、特徴のある演出を施したり、価格帯で特化したりする。
 あるいはフランチャイズチェーンを展開して、おなじ屋号を使い同一のメニューと味でお客を確保する企業もある。これは喫茶店の「ファミレス」化現象ともいえる。

 ところが、残念なことに昨今では肝心な「珈琲の味」を疎かにする店が増加してきている事実は隠しきれないように感じて仕方がない。

 現状をこのまま放置していると名古屋の持つ本来の「喫茶店文化」は空洞化しかねない。そこで、ひこぼしは名古屋で「おいしい珈琲」を味わうことのできるお店を「珈琲屋(こーひーや)」と呼ぶことにした。

 ただし、ふつうの「喫茶店」の存在を軽視するつもりはない。どこにでもあるようなふつうの喫茶店にも十分おいしい珈琲も少なくないから、味わって満足したお店はご紹介したいと考えている。

以上の理由で「近所の珈琲屋」を探しはじめた

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