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コピーライトひこぼし

2003年10月アーカイブ

【32号】駐車場

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 名古屋の町の珈琲屋さんでは、ご近所のお客さんだけを顧客としている場合と、ごく都心部に立地している場合を除いては数台の駐車スペースを確保していることが常識とされている。

 ぼくは今では乗用車で極軽い荷物を運ぶ「運転手のような仕事」をしているから珈琲屋さんの選択には駐車場の有無が重要な条件となる。だからといってあまり広大な駐車場を持つお店がよいとも限らないが。
 以前、ぼくは「営業」の仕事をしていた。扱う商品は楽器の類だったので営業範囲も自ずから限定された地域になる。しかもその営業車には会社の名前がおおきく書かれていた。こんな自動車の場合には駐車場の有無だけでなく、その場所も重要な条件となる。店の正面に駐車場を備えた珈琲屋で時間を潰していると、その会社の社員が仕事を怠っていることを地域の人たちに宣伝していることになってしまうからだ。
 当時のぼくら「営業車」にとっては、珈琲屋は表通りからは見づらいような場所に駐車場を持つことが重要だった。

 ぼく個人としては懐かしい思い出だが、たぶんいまでもこんな苦労をされている人たちもたくさんいらっしゃると思う。

 珈琲屋さんを経営していると何らかのかたちで自分のお店を宣伝したくなるものだろう。だからぼくのようなものが個人サイトでそのお店をご紹介しても誰も不愉快には感じないだろうとばかり思っていた。ところが中にはぼくのようなものが無責任にインターネットでご紹介することに同意していただけない場合もある。

 あるお店では、「うちは近所のお客様だけで手一杯なので、これ以上お客様が増えても対応できない」といわれた。またあるお店では、「うちは珈琲も提供しているが本来は紅茶を飲んでいただきたいので、お店の趣旨に反する」といわれた。
 どちらもお店の方針なので、ぼくは訪問した記録だけ残して、そのお店をご紹介することは断念した。

 もう一軒のお店では「インターネットというものを信用していないから」と断られた。家に戻ってそのお店の名前で検索すると、確かにすでにどこかの誰かがそのお店について紹介していて、しかも営業時間について大幅に間違った記載をしている。どうやらこの記事を読んで訪れたお客様からクレームが出ていたらしい。

 ぼくも何時どんな間違いを犯しているかもしれない。そしてぼくの紹介したお店の情報は常に新鮮でもない。ぼくのような個人サイトでもひとさまにご迷惑をおかけするわけには行かないから、常に身を引き締めて真摯に取り組みたいものだ、と反省する。
 だからひこぼしはいつもみなさまからのお叱りをお待ちしています。

【30号】度量衡

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 長さと容積と重さのことを「度量衡」というそうだ。それを計るためには「尺と升と秤」を使うことになっている。なんだか珈琲とまったく関係のないような話題だが、以前からぼくには疑問があった。
 カリタ社のメジャースプーンは10gを、メリタ社のそれは8gを計量できるとされている。しかしどう考えても容積で重さは計れないはずだと思っていた。そこでついに我が家にも「お料理はかり」なるものを備えた。まだ購入してから幾日も経っていないので数多くの豆を比較したわけではないが、少なくとも焙煎度の異なる豆を計量するとずいぶん大きな誤差が生ずる。
 まだ実験していないが、豆の状態で計る場合と挽いた状態で計るの場合でもかなりの差が出ると思われる。
 毎日、家庭でも安定した味の珈琲を味わいたいと考える人は、メジャースプーンを過信すべきではない。ぼくの購入した秤は約三千円だった。このくらいの投資をする価値は十分にある。

 また、同量の珈琲の豆を使用してもメッシュ(挽き方)が変われば珈琲の味もおおきく変わる。こちらはミルごとに表示が異なるので、そのミルの目盛りを覚えるしか方法はない。そういえばあるお店ではサイフォンを使い20秒の沸騰で案外濃厚な珈琲を抽出していた。
 家庭で味わう珈琲についても、今後研究してゆきたいと思っている。

【29号】純喫茶

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 2003年10月4日の「日本経済新聞(夕刊)」(名古屋版)の一面のコラム『明日への話題』に、武蔵大学教授のアダム・カバット氏が『純喫茶を求めて』と題する文を寄せていた。
 以下、著作権法の精神を完全に無視して丸ごと転載しておく。

 この広い東京のなかで今、「純喫茶」は果たしてどこにあるのか。
 世界中に評判が高いのは、お寺や神社ばかりではない。来日する前、東京に溢(あふ)れる喫茶店も楽しみにしていた。意外かもしれないが、故郷のニューヨークにさえ喫茶店は少なく、日本と違って待ち合わせや勉強の場所として利用される場合も少ない。
 二十数年前には「純喫茶」の看板をよく見かけていた。その当時、すでに時代に取り残された雰囲気があった。なかは暗くて椅子やテーブルがボロボロで、客もほとんど入らない。そんな純喫茶が特に好きだった。そして何よりも、「純」という文字に強く惹(ひ)かれていた。喫茶店の「エッセンス」なのか、それとも「ピュア」な喫茶店なのか、いずれにせよ、ドアの向こうに別世界が待っていると大いに期待していた。
 「純喫茶」の本当の意味は何だろうか。「日本国語大辞典」では「アルコール類を供したり、特別のサービスを提供したりする喫茶店に対していう」と。なるほど。今でいう「スナック」や「クラブ」と区別するために、「純」の文字がつくのだ。
 久しぶりに純喫茶を訪ねてみよう。古いものを探すには新しい手段が便利だ。インターネットで検索すると、純喫茶のホームページが見つかる。「純」の度合いでランキングするサイトまである。都心の店に入った。大きな立て看板には間違いなく「純喫茶」。がらんとしたなかに枯れかかった観葉植物。ピンクの公衆電話と漫画本の山。白いカップの珈琲は実に美味しかった。
 個性のないチェーンの喫茶店が段々増えている。純喫茶はいつまでも「純」のままでいられるだろうか。

 ぼくの探している珈琲屋さんとは微妙に違う面もあるが、「くつろぎのひととき」を求めている点では共通しいる。共感するところの多い文章だ。
 ぼくは、この文章を通じてこういうことを言いたかった訳だから、これは「転載」ではなく「引用」に属する。念のため~

 名古屋の喫茶店には「モーニング」という習慣がある。
「モーニングをお付けしましょうか?」
 と訊ねてくださる店もあるが、無言のまま無条件で“おまけ”のトーストやたまごやサラダなどが出てくるお店も多い。少なくとも名古屋の喫茶店では「モーニング」とはすなわち「モーニングサービス」のことだ。

 ぼくは仕事の都合上、午前中は滅多に珈琲屋さんを訪れることはない。が、たまには時間の関係などで珈琲を飲む機会もある。その場合はモーニングをお断りすることにしている。「サービス」なのだから戴けばよさそうなものだが、ぼくは毎朝必ず朝食は食べているし、中途半端な時間に半端な食事をすると、お昼の食事の味を損ねるような気がするからだ。また、本気で珈琲の味で他のお店と差別化を図るお店には「モーニングサービス」などはない。

 ぼくは名古屋の事情しか知らないから他の地方に「モーニング」という言葉や習慣があるのかどうかは知らない。聞くところによると、地方によっては「モーニングセット」なるものがあって、その場合は軽食には追加料金を支払う習慣らしい。そもそも「モーニング」という商習慣は激戦地といわれる名古屋の喫茶店が生んだ生存競争の結果なのだろう。

 辞書によると「モーニング」という言葉には用例として「~サービス」が挙げられているが、「モーニングサービスの略称」とはされていない。「モーニング」とは一般には「モーニングコート」を意味する。
 しかも「モーニングサービス」という言葉自体も和製英語で、本来の英語での「モーニングサービス」は朝の礼拝を意味する。
 「モーニング」は名古屋弁なのかもしれない。

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