2004年2月アーカイブ
モカといえば「珈琲」の代名詞ともされるほど有名な珈琲の豆だ。とくに日本の洋菓子の世界では「モカ」とは珈琲の味を意味する。そもそもはイエメンの港町の名前で、ここから出荷する珈琲をモカと称したらしい。もっとも現在では珈琲豆の約三割はブラジル産だそうだ。
珈琲屋さんを回っていると、ストレートコーヒーのメニューに「モカ」とか「ブラジル」とか「コロンビア」という表示だけの店がじつに多いことに気付く。「モカ」とひとことでいっても、イエメン産もあればエチオピア産もあるし、品種も数多くあり、また農園ごとに品質を競っているはずだ。モカは酸味の強い珈琲だと信じている人もいるが、品種・農園を選ぶと、必ずしも酸味の珈琲ばかりでもない。
珈琲屋さんのなかには「モカ・イルガチェフェ」というようにメニューに詳しく品種を表示している店もあるし、メニューには「モカ」とだけ書いていても、店内のどこかに「モカはモカ・ハラーでなんとか農園(標高~)です」などと詳細なデータまで表示している良心的なお店もある。
こうして品種や農園まで表示している珈琲屋さんではブルーマウンテンを置いていない場合が多い。不思議な話だ。
今年になってからあまり珈琲屋さんにお邪魔していないので、なんだか珈琲の豆に関することばかり書いてきたような気がする。珈琲は珈琲屋さんでばかり飲むものではなく、家ででも飲むものだから無駄なお話しをしていたとは思っていない。
しかし、家庭で飲む珈琲の味を求めて、ひたすら研究をすることはぼくはあまりお勧めしないのだ。珈琲の豆の量を比較したり、抽出方法をいろいろ試すことは確かに面白いし、いろいろ学ぶことも多い。
街で売っている珈琲豆は必ず「目方」で価格を決めている。だから家庭でも一体何グラムの豆を使えば美味しくて濃厚な珈琲が抽出できるかというようなことを誰でも考える。
ところが、豆を挽いてもらって購入した場合には店ごとにメッシュはかならずも同じではないし、細挽きの豆を使えば豆の量は少なくてもそれなりの珈琲になる。現にメリタ社のホームページを見ると8グラムの豆で美味しい珈琲が抽出できることになっている。
逆に珈琲屋さんでは、意図的に粗挽きの豆を大量に使用するお店もある。
また、珈琲豆を販売するお店に訊ねれば、
「豆の量は多い方が美味しい!」
と言うだろう。その方が早く豆を消費するから珈琲豆もたくさん売れる。
だいいち、苦い珈琲を飲みたいときもあれば、やさしい珈琲を飲みたいこともある。
ぼくは、珈琲豆の定量化を考えてクッキングスケールを購入した。が、実際には最近ではほとんど使っていない。なぜなら珈琲の味は珈琲豆の目方(めかた)では計れないだろうと、悟ったからだ。
そういえば「♪オトコ~が目方で売れるなら そーんな苦労~も
」という歌があった。
珈琲豆を目方で売るのは珈琲豆屋さんの仕事で、客は自己流を開拓したほうがよさそうだ。
ぼくは珈琲が好きだから珈琲屋さんに入る。しかも出来るならいろいろな種類の珈琲を用意している珈琲屋さんに入る。その日の気分に合わせた新鮮な珈琲の味を楽しみたいからだ。
しばらく以前にある『珈琲専門店』に夕方早くに入ったとき、ストレートの珈琲を注文したら、
「今日、はじめてのストレートです」
だという。
名古屋人は珈琲が好きだということになっているが、ほとんどの人にとって珈琲とはホットかアイスのことで、珈琲の豆の味の違いを比較して楽しむ人はごくわずかなのではないか。実際のところ、名古屋人が好きなのは「珈琲」ではなくて「喫茶店」なのだろう。
ぼくが探しているような『珈琲屋さん』がいろいろな種類の珈琲の豆を準備していても、ほとんどの客にとって珈琲とはあくまでコーヒーでしかない。
せっかく、お店が数種類のストレートやブレンドを用意していても、客は「ホット」としか注文しないし、なかには『通』を気取って「アメリカン」と言う人さえいる。
だからストレートの豆を用意しているお店でも、せっかくの豆を無駄にしてしまうわけにゆかないから、一定期間したらブレンドすることを前提にしてストレートをメニューに掲げているような気がする。
あくまで珈琲は仕事の疲れを癒し、くつろぎの時間を楽しむためのものだから、皆が珈琲豆に蘊蓄を傾ける必要もない。
去年の「父の日」に『ブルーマウンテン』と称する珈琲を通常のブレンドと同じ値段で飲ませる珈琲屋さんがあった。
名古屋人の珈琲に対する認識はまだまだこの程度のようだ。




