2005年6月アーカイブ
もう最近では旅に出るといえばブーブを使う習慣が根付いてしまっている。たまには汽車の旅も悪くないと思うものの、家から荷物を下げて最寄りの駅まで行くのは億劫だし、目的地に着いた後の行動も公共交通機関ではなにかと不便なことが多いのでどうしても汽車を利用する気分にはなれない。
自動車で移動していると一定時間ごとに休息をとることになる。一般には「トイレ休憩」などと呼ぶが、運転手は緊張を解く時間であり、また便所を利用したり飲み物を補給したり、あるいは軽い食事を取ったりする。
高速道路の場合には「サービスエリア」「パーキングエリア」など、また一般道なら「道の駅」や「喫茶店」を利用することになるわけだ。ところがどの場所でも美味しい珈琲にはまずありつけない。
世の中には旅に出るときにそのルートの細かなリサーチをしておいて、有望な珈琲屋さんを目指すことのできる「達人」もいらっしゃるらしいが、そんなに調べ上げていては、気ままな旅を味わいたいぼくのようなものにとっては旅の醍醐味が味わえないような気がするので、ぼくはいつも気ままな運転を心がけている。
以前なら高速道路の「S・A」ではレストランの珈琲を飲むこともあったが、昨年来“全館禁煙”になってしまったのでもう利用しなくなった。売店には自動販売機があって、紙コップの珈琲かもしくは缶コーヒーを飲むことになる。そしてどちらもお世辞にも美味しいとはいえない。ミルを内蔵していて短時間でレギュラー珈琲を抽出するという販売機も増えてきたが、あの珈琲はひどく後味が悪い。
どうやらサービスエリアでは無料のお茶を飲むのが正解のようだ。
ぼくはめったに旅行に行かないし、それ以前に「ホテル」と呼ばれるところにお世話になった経験はない。仕事の関係で出張があった時期には「ビジネスホテル」にはお世話になったこともあるけれど、素泊まりで6千円くらいの宿で酔っぱらって寝るだけだった。
そこで過去の記憶をさかのぼって考えると、名古屋駅前ののっぽビルの中のホテルで夕食会があって、会がお開きになってロビーで珈琲を飲んだ記憶がある。また、池袋の西口にほど近いホテルで学生時代の仲間の集いがあって、集いのはじまる時間までに余裕があったのでロビーで珈琲を飲んだ記憶もある。
どちらもゆったりした柔らかな椅子で珈琲をいただいたが、特においしいとは感じなかった。その代わりに価格だけはすこぶる立派だった。
また、最近のホテルのロビーの宿命なのかどちらも「禁煙」だった。
おいしい珈琲を飲むことが目的の場合は禁煙でもやむを得ないけれど、歓談や時間つぶしの場所で喫煙を禁じられていて、しかも珈琲が高価なのはぼくにとっては「理不尽」にすら感じる。
今後、たぶんぼくは都会のホテルで珈琲を飲むことはないだろう。
ぼくは貧乏人だから滅多に旅行になど行かない。そうはいっても一年に何度かは温泉地へ出かけたり、釣りに行く。そのときにいつも思う。どうして旅館のお茶は不味いのだろう。
たいていの旅館では客が到着すると、仲居さんが部屋まで案内してお茶をいれてくださる。それは煎茶だったり玄米茶だったりするけれど、どうもあまり上等なお茶ではないし、よほど高級な宿を除き、ティーパックになっている場合が多い。
夕食の料理にはさまざまな工夫をして客をもてなすのだから、客に提供するお茶にももっと注意を注いでほしい、と思う。
また、ちょっとした宿には喫茶室があって珈琲を提供している。その値段は街の喫茶店を上回ることが多い。にもかかわらず、その珈琲は概して美味しくない。たいていの場合コーヒーメーカーで抽出しているし、珈琲豆の鮮度も芳しくないようだ。街の喫茶店と違い、珈琲を注文する客の数が少ないので仕方がないのかもしれないけれど、そうはいっても有料である以上珈琲の味にもある程度の配慮をしてもらいたいものだ。
とはいえ、旅館に泊まる観光客のほとんどの関心は珈琲より料理と酒にあるのだから、ある意味では仕方のないことなのかもしれない。そういう愚生も、温泉宿に到着したら「とりあえずビール」の部類に入る。
翌朝の食事の時のほうじ茶はなぜかおいしい。




