【102号】特別な飲み物
少なくとも、日本で暮らすものにとっては珈琲は「特別な飲み物」だ。なぜなら、日本をはじめとする東アジアの国には「お茶」という優れた飲み物があり、これらの国では食生活にお茶は欠かせない存在だからだ。
日本の食生活は第二次大戦の敗戦後大きく西洋化した。小学校の学校給食からパン食が普及したというが、小学生たちは給食でパンで牛乳を飲んだ。少なくとも珈琲を飲むような給食は見たことがない。
家庭の朝のご飯でもパンは普及したけれど、多くの家庭ではパンの朝食では紅茶を飲んだ。もちろん紅茶も「お茶」の一種だ。
日本の家庭で珈琲が大きく普及したのはインスタントコーヒーの登場による、と思う。珈琲の抽出液を熱風乾燥した初期のインスタントコーヒーでも珈琲の香りはあるし、珈琲の味もある。場末の喫茶店の煮出した珈琲より、はるかに手軽で美味しい珈琲を飲むことができるようになって日本の家庭に珈琲を普及したから、インスタントコーヒーの功績は偉大だと思う。
しかしそれでも珈琲はあくまで「特別な飲み物」の扱いを受けている。その原因は抽出がやや面倒なことと、最大の原因は良質な鮮度を保つ珈琲豆を入手することが困難だという事情による。その傾向は二十一世紀となった現在でも大きくは改善されていない。
だから今でも「美味しい珈琲は珈琲屋さんで」飲もうということになるし、我が家でも「美味しい珈琲」に挑むという家庭はごく少ないのが現実だ。
スーパーへ行けば珈琲器具も販売しているし、珈琲豆ももちろん販売している。それにも拘(かか)わらず、良質な鮮度を保った珈琲豆には滅多に出会えない。だいいち「賞味期限」の設定が長すぎるし、あらかじめ挽いた豆をパック詰めしていたのではどんなに品質の良い珈琲豆を使っていても、その劣化は甚だしいから、現状では消費者の手許に届く珈琲豆で飲む珈琲が美味しい筈がない。





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