【103号】粗茶ですが《1》
日本語に『粗茶ですが』という表現がある。ところが、なぜかお茶屋さんやスーパーマーケットで「粗茶」という名前のお茶を販売している光景を目にしたことはない。たぶんこれはいわゆる「言葉の綾」で、
「お口に合わないかもしれませんけど
」
という謙譲表現なのだろう。
日本ではこんな言葉が存在するくらいに「お茶」が広く普及している。街でも田舎でもうどん屋さんに入ればまず必ず「お茶」が出る。しかもこれはまず例外なく無料だ。
レストランやラーメン屋さんでは水が出るが、これももちろん無料だ。
当たり前のことのようだが、じつはここに日本の長い歴史が生み出した『お茶の文化』の存在を無視できない。日本では少なくとも奈良時代からお茶を飲む習慣があった。たぶん日本以外でも東アジアの国の多くでは同様だろう。
それに対して欧米の諸国では、その歴史は浅く、ぼくの持つ資料によればイギリスでお茶が飲まれはじめたのは1600年代の後半のことだそうだ。そのころ欧州には珈琲のほうも伝来している。どちらも最初は「薬」として飲まれはじめたという。
さて、日本では紅茶も珈琲も1800年代後半(明治時代)になって大衆に普及した。だからそれまでのふつうのお茶とは別格の飲み物で、それ自体に対価を求めるような価値を持っていた。と思う。
この「粗茶ですが」という軽いテーマは実際に考えはじめると、とても重い。ひょっとすると数回以上の連載となるかも。





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