【140号】おいしい珈琲・まずい珈琲《2》コンパル
一週間のあいだ寝る間を惜しんで考えていたが(ウソ)やはり、過去一番美味しいと感じた珈琲は想い出せない。
ここで問題になるのは「おいしい珈琲」の定義を定める際に、街の「喫茶店・珈琲屋」で出逢った珈琲の場合と、自分で豆を購入して自分で淹れた珈琲の場合に大別される、ということだ。前者の場合にはそのお店の雰囲気やそのときのロケーションが加味される。また珈琲だけを飲む場合と何かを食べながら珈琲を飲む場合があり、その場合には一緒に食べるものにより、もちろん珈琲の味わいは違う。
そしてどちらの場合にも珈琲あるいは珈琲豆の価格を無視できない。
今回は、街の珈琲屋さんに限定して考える。しかも旅の途中で出逢った珈琲屋さんはいわば特殊な状況だから除外して、あえて名古屋とその周辺の珈琲屋さんに限定する。
名古屋に限らず60年代あたりに「珈琲専門店ブーム」という現象があって、各地に「珈琲専門店」なるお店が登場した。それ以前の喫茶店には雑多なメニューを排除して「純喫茶」と名乗る珈琲屋さんがあったが、そこからさらに珈琲に特化したのだろう。この「珈琲専門店」の特徴はブレンドを数種類と単品の珈琲(ストレート)やアレンジコーヒーなどをメニューに列記していて、個別に抽出することが“謳い文句”だった。当時流行していたサイフォンを使用するお店が多かったことも特徴的だ。
また、そのお店に入る客のほうも“珈琲通”を目指していたのだろう。砂糖やミルク(フレッシュ)を加えることを邪道だと信じていて、たいして美味しくもなくて苦いだけの珈琲を「おいしい」と信じていたような気がする。
そんな風潮のなかで駅前や栄地区に数店舗をもつ「コンパル」の珈琲は別格だった。ネルドリップのその珈琲は個別抽出ではないが、なにしろ客足が速いからいつも淹れたてだった。また、真っ白な陶器のカップにはステンレスではない銀色のスプーンとピッチャーが添えられていて、ピッチャーの中には一般の喫茶店よりはうかに乳脂肪分の高いクリームがついてきた。この特徴はは現在でもまったく変わらず続いている。
ぼくらの高校生時代にはこのピッチャーを拝借して学生鞄の脇にぶら下げることが一種のステータスとされた。これは立派な「窃盗」だからくれぐれも読者がまねをしないように!。ぼくもその中の一人だが、もう、かれこれあれ以来40年も経つから「時効」にしてもらいたい。
ともかく、ぼくが「おいしい珈琲」に目覚めた珈琲屋さんといえば、文句なく「コンパル」を挙げる。





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