2008年1月アーカイブ
今日付の「産経ニュース」に「妊婦はコーヒーも控えたほうがよい?…」と題した記事があった。
ところがこの記事の内容は余りにお粗末だ。夕刊フジでも週刊ポストでもこんなお粗末な記事はデスクを通らないだろう。
そこで「著作権」の存在を無視して、以下に転載させていただいた。
妊婦はコーヒーも控えたほうがよい?調査結果割れる 2008.1.23 03:02【ワシントン=USA TODAY(リタ・ルービン)】「妊娠中は禁酒、禁煙がベスト」ということは、ほとんどの女性が知っている。だが、カフェインはどうか。2つの調査が相反する結論を出しているが、過剰な摂取は避けた方がよさそうだ。
カフェインは胎盤に入り込むが、胎児には代謝する力がない。そして、胎児の細胞分裂に影響を与え、胎盤内の血流を阻害する。このため、妊娠20週以前の妊婦がカフェインを摂取すると流産する可能性が高いとされてきた。
1063人の妊婦を対象に調査を行ったカイザー・パーマナンテ病院によると、カフェインの摂取量が1日200ミリグラム(コーヒー2杯)以下の妊婦が流産する確率は、全く飲まない人より40%高く、200ミリグラム以上摂取する人は2倍に高まったという。
一方、マウントサイナイ医大のデービッド・サビッツ医師は、1日にコーヒー2杯以下の2407人を対象に調査。しかし、流産とカフェインの因果関係は見つからなかったという。
カイザー・パーマナンテ病院産婦人科のトレーシー・フラナガン医師は「妊娠3カ月までは2杯以下にした方がよい。最善の方法はカフェインが入っていない飲み物に代えることだ」と助言している。
(c) 2008, USA TODAY International. Distributed by Tribune Media Services International.
まず第一にこの記事ではすべての文章を「されてきた」とか「だという」というように断定を避けた終止形で終えている。まずこれからこの記事の内容に自信がないことが解る。
第二に挙げられた二つの例ともに具体的な調査のサンプル数だけ正確に記しているが、「流産」した実数を避けてパーセントで誤魔化している。たとえば上記のカイザーなんとか病院の1063人のうち何例の流産があったのかが書かれていないからほとんど説得力はない。
第三にそのサンプルが果たして飲酒癖や喫煙癖を持たない保証はない。その意味でもこの調査は余りにずさんだといえる。
最後にこの記事では珈琲のカフェインだけを問題としているが、他のカフェインを含有する嗜好飲料(紅茶・日本茶)などの存在をまったく無視している。
そういえば、こんな例はいつぞやの「あるある大事典」と同様だということを思い出した。もしもカフェインで流産が増えるのなら、日本茶を日常的に飲用するうえに珈琲を飲む日本人はいったいどうなるのだろう。
くれぐれもこの手の詐欺的調査を信じてはならないのだ。
トラックバックスパム対策としてWingMemoさんのシステムを利用していたが、優秀な彼の作品の丸写しではひとつのMovabletypeでふたつのブログを作るとどうやら不具合が出ることが判明した。
そこでこのブログのトラックバックシステムは、今日いったん初期状態に戻した。
もしも勇気あるスパマーがいらっしゃたら動作確認の実験にご協力ください。
珈琲をいれる
珈琲をいれるとき「淹れる」という字を当てる場合と単純に「入れる」とする場合がある。とは云っても実際に珈琲を淹れるときにはまさか漢字を当てたりはしないから、珈琲の入門書などでの話題だ。 正確な数字を調べてみたわけではないけれど、このふたつの場合には圧倒的に「淹れる」のほうが優性だ。それとは別に「珈琲を点てる」という和風な表現もある。これはサイフォンの雰囲気が漂いまるで昭和の時代の中流家庭の朝食風景を彷彿とさせる。ただ最近ではサイフォンはあまり流行っていないので「珈琲を点てる」というという言葉は失脚しつつあるように思う。
家庭でもっとも簡易な珈琲はインスタントコーヒーだが、この場合には「入れる」という表現をせざるを得ない。単に粉末を熱湯で溶かすだけだから「淹れる」要素はない。
最後にぼくは使ったことがないが「珈琲を沸かす」という言葉を使う人がごくまれにいる。どうも彼らは「西部劇」の見過ぎなのかも。
久々に流行歌の話題を。
この「コーヒーショップで」は当時名古屋の民放ラジオでディスクジョッキーをされていたあべ静江さんの1973年のデビュー曲だ。
二番からなる歌詞は珈琲を唄ってはいない。あるコーヒーショップの客とマスターとの会話を主題としている。
古くから 学生の街だった
数々の青春を 知っていた
城跡の石段に
腰おろし 本を読み 涙する
人もいた
そんな話を してくれる
コーヒーショップのマスターも
今はフォークの ギターを弾いて
時の流れを 見つめてる
歌詞のどこにも珈琲は登場しない。ところが歌の中からは淹れたての珈琲の香りが漂う。
歌詞の著作権に抵触することを承知の上で二番の歌詞も途中まで引用する。
服装や髪型が 変わっても
若い子はいつの日も いいものだ
人生の悲しみや
愛のこと 打ち明けて 誰も皆
旅立った
そんな話を してくれる
コーヒーショップの マスターの…
(以下、略)
以前、取り上げた「学生街の喫茶店」と似たような情景に感じる人がいるかもしれないけれど、あの歌では客が自分たちでボブディランを聴いて、それを懐かしんだだけだ。
こちらの「コーヒーショップで」ではマスターの目を通じて時代とともに入れ替わってゆく学生たちの無垢な心情を懐かしみ、この歌の主人公である客にも素直にそのことが伝えられている。
珈琲そのものを唄った歌ではないけれど今になって聴いても「佳作」だと思う。ちなみに作詞は阿久悠、作曲は三木たかしによる。




