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コピーライトひこぼし

2008年3月アーカイブ

 どうやらこの「MovableType」をVer4.1にアップデートしたときに、大きな失敗をしていたようだ。
 ダイナミックパブリッシングだからと、部品化したモジュールをモジュールテンプレートに置かずにやたらにインデックスページにphpファイルとしてそのファイルをサイドバーにインクルードしていたことが不具合の原因だったようだ。

 もしもそれだけが不具合の原因だったとしたら、これで解消できたはず。長い間、みなさまにはご心配をお掛けしましたm(_ _)m

 ついでに、また記事本文の文字フォントの大きさも少しだけ小さめに、また背景画像の透過gif画像も変更してみた。いかが~

 振り返ること五年半、ぼくのような愚かなものでもこの「近所の珈琲屋」という名前のサイトをなんとか維持できているのは、ひとえに愛読者のみなさまの応援の賜物(たまもの)と感謝しています。

 ついては年度末を迎えてみなさまにお願いがあります。

 もう五年も経ったサイトの記事の中には、そのお店が存在しないものや、お店の営業方針が変わりこのサイトでご紹介することがふさわしくないお店もあるかもしれませんが、ぼくひとりではそのすべてを把握しきれていません。
 また、近年「禁煙」の流れが大きくなってきて、ご紹介している珈琲屋さんの中には「禁煙化」を実施されたお店もあるはずです。もちろんこれもひとりの努力ではとても把握が不可能です。

 この「近所の珈琲屋」というサイトを作りはじめたのは「ひこぼし」の独断ですが、サイトの維持管理には、愛読者のみなさまのあたたかい応援とご協力が不可欠となっています。
 このサイトを少しでもより良い内容に刷新するために、どうか、みなさまのご存じの情報やご意見ご希望を是非「ローストルーム」か「言いたいこと」で、ひこぼしまでお知らせください。辛辣な内容でも一向に構いません。そんなご意見でも真摯に受け止めて「治すべきところは治す」ことで、このサイトをもっとより良いものにしてゆきたいと考えます。
 以上、ここで伏してお願いをいたします。

(謝礼はありませんけれど、悪しからずm(_ _)m) 

 最近とみに珈琲屋さんに「禁煙」の店が目立つようになってきた。「健康増進法」とやらの施行のせいも一端にはあるのだろうけれど、それ以前に公衆の密集する場所である「珈琲屋」さんで、たばこを燻らすことがすでに時代に即していないとも思える。
 3月23日の「産経ニュース」には『喫茶店も禁煙・分煙浸透 自治体が認証制度 入り口、HPに表示』(2008.3.23 12:37)という見出しが躍っている。
 例によって新聞社のサイトの記事はいつまでアーカイブされているか定かではないので、ちょっと長文だが著作権の存在をあえて無視して、記事の内容を転載させていただく。

 人が集まる施設の受動喫煙防止を努力規定にした健康増進法が施行されてから間もなく5年。公共機関や飲食チェーン店などは禁煙・分煙が進むが、個人経営が中心の従来型喫茶店では"喫煙天国"というのが実情だ。こうした中、禁煙・分煙の認証制度を進める自治体もあり、個人経営の喫茶店にも少しずつだが対策に乗り出す店が現れている。(八並朋昌)

 東京・本郷の名曲喫茶「麦」。平日は音楽より、たばこを吸いにやってくる客が多い。店主の生沢直広さん(60)は「セルフ式コーヒーチェーン店が増えるなどして客が減ったため、6年前にコーヒーを250円に値下げしたところ、たばこを一服しにくるお客さんが増えた。客席は2部屋に分かれているが、分煙の予定はない」という。

 平成15年5月施行の健康増進法は、多人数が利用する施設に対し受動喫煙防止に努めるよう求めている。昨夏には、世界的な取り組みとして、公共の屋内空間で全面禁煙を求めるガイドラインを、たばこ規制枠組み条約の締約国が全会一致で採択した。

 しかし、「小規模喫茶店は経営が厳しく、施設改善も難しい狭小店が多い」と厚生労働省健康情報管理係。そこで、喫茶店を含む飲食店を「禁煙店」「分煙店」などに認証・登録し、入り口などに表示する事業を自治体を通じて進めている。店の取り組みを促し、客も店を選びやすくするためだ。

 岩手県では、17年春から先月までに禁煙131店(うち喫茶店38店)、分煙21店(同5店)が登録。健康増進係医務主幹の森谷俊樹さんは「喫茶店は、レジが喫煙側にあるという苦情で分煙登録から外したのが1店、喫煙の常連客のクレームで辞退したのが2店あるが、禁煙・分煙で客が減ったという声はない」と説明する。

 横浜市都筑区は独自の制度で17年春から先月までに飲食店100店を認証し、うち喫茶店はチェーン店を含め2割ほど。銀座を抱える東京都中央区も禁煙・分煙の営業施設名をホームページで公表しており、喫茶店は17店を数える。

 たばこの煙には吸い口からの主流煙と、燃焼部から出る副流煙がある。副流煙は刺激が強く、主流煙と比べニコチンは2・8倍、タールは3・4倍と有毒物質が多い。喫煙者が吐く煙や副流煙の受動喫煙では、肺がんや心臓病などの危険度が増すとされる。

 東京・神田神保町の「神田伯剌西爾(ブラジル)」は5年前、自主的に分煙にした。「『煙いからどうにかして』というお客さまが増え、2部屋に分かれた客席のうち換気がいい方を禁煙にした」と店長の竹内啓さん(36)。客は喫煙者が6割を占めるが、「禁煙席数は喫煙席の半分なので常に満席」という。

 日本の喫煙率は今や24・2%(17年厚労省調査)。大人の4分の3は非喫煙者だ。神田伯剌西爾の禁煙席に座った自営業男性(46)は「煙くないのがありがたい。従来型の喫茶店も分煙が増えてほしい」と、おいしそうにコーヒーを飲んでいだ。


 じつはぼくも愛煙家のひとりだが、珈琲屋さんは珈琲を愉しむ場所であると承知しているから、禁煙の珈琲屋さんでも、そのお店の珈琲をおいしく感じれば足を運ぶ頻度は変わらない。

 また、他人の吸うたばこの煙で空気の濁った珈琲屋さんでは、必ずしもおいしい珈琲に出会えないことも多い。
 そういうぼくも、たとえばラーメン屋さんやうどん屋さんでは決してたばこを吸わない。ラーメンやうどんのおいしいお店ではお客様の流れも激しく、食後の一服はお店を出てから、自分のブーブのなかで味わう習慣だ。
 だから「おいしい珈琲屋さん」でも、ゆっくりくつろぐことができるのはありがたいが、だからといって人混みの中で喫煙する必要もない。

 おそらく今後は、大型店舗では「分煙化」が進み、一般的規模の珈琲屋さんでは「禁煙店」と「喫煙加」を謳う店に大きく区分化されるだろう。

 というわけで、この「近所の珈琲屋」というサイトにも「禁煙」の記述を強化することにした。4月上旬までにはなるべく多くの地域の確認済みの珈琲屋さんには「禁煙」または「一部禁煙」を赤色で表示することにした。
 まだ、個人的に禁煙する決意はしていないけれど...

 まずこの流行歌の歌詞の途中だけご紹介する。ぼくらの世代ではこのフレーズだけでメロディを想い出すひとも多いだろう。

ぼくの街でもう一度だけ熱いコーヒー飲みませんか
あの店で聞かれました君はどうしているのかと
 この野口五郎の「私鉄沿線」(1975)は「甘い生活」(1974)と並び、彼の代表作といえる。
 どちらの曲もずいぶんテレビやラジオはもちろん、よく街でも流れていた。
あなたと揃いの モーニングカップは
このまま誰かに あげよか
 こちらが先に発売された「甘い生活」の出だしのフレーズだから、いわば柳の下の二匹目の泥鰌(どじょう)を喫茶店で探り当てたという訳だろうか。この曲は「第17回日本レコード大賞歌唱賞」をはじめ各種の歌謡賞を受賞している。
 なぜかどちらも失恋の歌で、歌詞から推察するとどうやら彼は恋人に去られたらしい。


 喫茶店や珈琲を「うた」の中で人生の中の小道具にするとき、どうも「別れ」を連想させる場合が多い。もちろん珈琲賛歌にふさわしい歌がないわけではないが、こちらはあまり多くない。
 一方の「酒」を小道具にして歌う場合にはもっと積極的に人生を楽しむ曲が多いから(もちろん別れの歌も多いが)いわば対照的な印象がある。アルコールにはひとを興奮させる作用があり、カフェインにはその一時的な興奮状態を覚醒させる効果があるのかもしれない。

 以前このブログで触れた小野リサさんの「COSA HAI MESSO NEL CAFFE(コーヒーに何を入れたの?)」などは愉快に珈琲を楽しむ歌で珍しい存在なのかもしれない。

 もっともっと、こらからは楽しい珈琲の歌を探したい。

2008_03_12coffeeskech-scan1.jpg この本は昭和59(1984)年9月20日の出版で、(社)全日本コーヒー協会が主催したエッセイコンテストから、この出版社が独自に「コーヒーと人々との触れあい」を主テーマに選んだアマチュアのエッセイ集だ。もう25年以上も前の出版物で、なぜぼくがこの書籍を買ったのかの記憶はない。
 この本の内容である「エッセイ」はエッセイというより「作文」と呼ぶほうがふさわしいもので、どれもみな今読み直すとお世辞にも優れたものとはいいがたい。時代を現在に置き換えると、文章としては、ぼくがこうして書いていたり気楽に接したりしている「個人ブログ」の中身のレベルに近い。

 ところが、読み返してみて驚くことがいくつかある。まずこの本の中のエッセイには「昭和」という時代背景が色濃く目立つ。戦前・戦後を通じて珍しかったコーヒーに関する逸話が登場するし、占領軍から横流しされたと思われる一度抽出した珈琲豆も登場する。
 それ以外の特徴をいえば、当時はまだサイフォンが珍重されていたことや、現在でも残っているブルマン神話が、当時ではさも当たり前のように語られていることだろう。

 ともあれ、この文集のなかでは、肩を張ってコーヒーを語るのでなく、ある意味で庶民が生きるなかでコーヒーと触れあったときの「ひとこま」を素人の目を通じて描いている点で興味がわく。
 おそらく間違いなくもう絶版だろうから、図書館で発見されたら一読されるとよいかもしれない。あえて古本屋で棚を探すほどの価値は感じない。

 ぼくは、音楽CDを集めるときに大まかなルールを設けている。

【1】原則として日本人か日本語で歌う歌手以外のCDを買わない
【2】男性歌手またはメインボーカルが男性のCDは買わない
【3】演奏だけの音源の場合には、ジャズかラテンに音源を絞る
 だから、さだまさしのCDは一枚も持っていない。例外として「関白失脚」の入ったオムニバスは買ったが。だから当然「パンプキンパイとシナモンティ」の入った『夢供養』というアルバムも持っていない。
 ところが先日深夜の「Songs」という番組でこの曲を聴いた。やはり「安眠」というのは珈琲屋さんの名前で、その曲はこんな出だしだった。
二丁目の交差点から17軒目で
時々走って2分と15秒
平均112.3歩目に我等のコーヒー・ベーカリー「安眠(あみん)」がある
 正確には、多少違うかもしれないがご容赦を。

 ともかく、この珈琲屋さんの若いマスターの淹れる珈琲は旨いんだが、なぜか女性たちはパンプキンパイがお気に入りで、シナモンティのシナモンの枝でどうのこうの~という内容だった。

 1970年台のフォークソング世代でも、以前ここで取り上げたユーミンの「海を見ていた午後」と同様で、「珈琲」は歌の主役には向かないらしい。

 ちょっと淋しい。

 これは一部の読者のみなさまはもうご存じだと思う。数日前の「珈琲日誌」にて既報だし、
 2月27日の朝日新聞は「コーヒー味利きロボット」を報じている。その後ほかの数社の新聞報道を調べてみたがいまのところ発見できていないけれど、他紙はニュースバリューに疑問を感じたのかもしれないし、真相は不明だ。

 ともかく、ぼくの個人的なシロート的発想ではまだこの手のロボットはまだまだほんの実験段階で実用には及ばないと感じる。
 確かに日本のお米に関していえば、米飯は日本などのアジア諸国では主要な農産物だし、主食でもある。また、お米の場合には脱穀したら単にそのまま炊いてそのまま食べる食品だ。
 それに対し珈琲は精製して生豆の状態で流通していて、それを職人の技で焙煎して抽出してようやく嗜好飲料としての珈琲となる。その経過を無視して、エスプレッソ用に焙煎した状態で「味利き」をして、仮に珈琲の香りや味に差を見いだすロボットを開発してみても無意味に近い。おそらくそれすら不可能だとは思うが...

 もしもこの「発明」が実用的で画期的なものであったとしても、街で飲む珈琲の味が美味しくなるとはとても想像できない。

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